西国(近畿)の名だたる古社名刹が手を結び、「神仏和合」にもとづく新しい組織「神仏霊場会」を設立し、『神仏霊場巡拝の道』が誕生しました。
参加社寺は伊勢神宮をはじめ152社寺に及び、江戸時代まで盛んに行われた伊勢参りや熊野詣のように、神仏を同時に崇拝していた精神風土を現代に取り戻し、末永く百年千年の規模で展開する巡礼ルートとなっています。

役行者の遺徳と修験道の世界により多くの人々に触れていただき、その目指す所をご理解いただくべく、役行者ゆかりの三十六寺社が集まって、この「役行者霊蹟札所会」を結成するはこびとなりました。それは、平成の世における、新たな修験道の出発でもあります。

平城宮は、元明天皇が「四禽図にかない、三山鎮をなす」と宣言して造営が始まったとされます。「四禽図にかない」とは、陰陽思想において四神相応の吉相の地という意味です。東に位置する青龍は、川や流水を司り、南の朱雀は沼・湖を司る。白虎は西に位置して大道を、玄武は北で山・丘陵を司る、とあります。
 平城遷都1300年祭を契機として、奈良県全域を四神相応の吉相の地になぞらえて、青龍は室生寺、朱雀は金峯山寺、白虎は信貴山朝護孫子寺、玄武は西大寺であると四ヶ寺が独自に位置づけ、此の度、「大和四神めぐりの会」が発足いたしました。

紀伊山地は神話の時代より神々が宿る場所として崇拝されてきた山々ですが、新しく渡来した仏教の影響の下、宇宙や自然にひそむ神秘的な力を身につけるための山岳修行の舞台となり、修験道霊場の「吉野・大峯」、神仏習合霊場の「熊野三山」、真言密教霊場の「高野山」という三つの異なる霊場と、その霊場に至る参詣道が生まれ、日本における宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしました。このような紀伊半島の自然とそこに根付いた「霊場」や「参詣道」、それを取り囲む「文化的景観」が中心となる遺産は、日本人の独特な宗教文化を象徴するものであるとともに、世界でも稀有の資産として価値の高いものとして登録されました。