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蔵王堂(国宝)
蔵王堂は、金峯山寺の本堂です。本尊金剛蔵王大権現三体のほか、多くの尊像を安置しています。
蔵王堂は、白鳳年間に役行者が創建されたと伝えられています。
平安時代から幾度か焼失と再建を繰り返し、『太平記』には正平3年(1348)に足利方の高師直(こうのもろなお)の来攻によって焼失、その後、天正14年(1586)にも焼失しました。
現在の建物は天正20年(1592)ころに完成したものです。
三体の本尊は秘仏であり、普段は見ることができませんが、中尊は7mを超える巨像です。 -
仁王門(国宝)
仁王門は重層入母屋造り、棟の高さ20.3mの日本屈指の山門(さんもん)で、国宝に指定されています。
本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北が正面です。京阪神をはじめ北側から吉野大峯に入峰する人々を迎える門です。
門の左右には高さ約5mの仁王像が安置されており、阿形像は延元3年(1339)、吽形像は翌4年(1340)に南都の大仏師康成(こうじょう)によって造立されました。両像ともに重要文化財に指定されています。
仁王門は、南北朝時代に建立されたと考えられており、平成30年より大修理に着手しました。 -
二天門跡
二天門はかつて蔵王堂の南に南面して建っていた門で、大峯から出峰してきた行者を迎える門でした。
元弘3年(1333)1月16日、鎌倉幕府が攻め寄せたとき、村上義光(むらかみよしてる)が大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)の身代わりとなって、二天門で切腹したという伝説があります。
江戸時代の絵図の中には二天門を描くものがありますが、実際には南北朝時代の焼失後、ついに再建されることはありませんでした。
現在二天門跡には、「二天門跡村上義光公忠死之所」と刻まれた石柱がたたずんでいます。 -
観音堂
本尊は十一面観音立像をお祀りしています。
南北朝・室町時代ころに創建されたと考えられています。
本尊十一面観音立像は南北朝の作とされ、脇に安置される阿難・迦葉尊者立像(あなん・かしょうそんじゃりゅうぞう)は、現在は廃寺となっている世尊寺(せそんじ)に安置されていたと伝えられています。 -
愛染堂
本尊は愛染明王をお祀りしています。現在の堂は明和7年(1770)に経蔵として建立されたもので、その後護摩堂として使われていました。昭和58年(1983)、それまで蔵王堂に安置されていた愛染明王を遷座し、愛染堂としました。この像は明治の初めに廃寺となった安禅寺に安置されていたものです。
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四本桜
四本桜は蔵王堂の境内、石の柵の中に桜が四本植えられている場所で、「大塔宮(だいとうのみや)御陣地」と刻まれた石柱が建っています。
元弘3年(1333)大塔宮護良親王(だいとうのみやもりながしんのう)が鎌倉幕府勢に攻められて、吉野落城を覚悟して最期の酒宴をされた所です。その際の陣幕の柱跡に植え続けられているのが、この桜です。 -
蔵王権現本地堂
本地堂は食堂(じきどう)の跡地に役行者1300年大遠忌を契機として建立されました。本地堂には蔵王権現の本地である釈迦・千手観音・弥勒の三尊、役行者・前鬼(ぜんき)・後鬼(ごき)像が安置されています。
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鐘楼
鐘楼は蔵王堂の西脇に建っています。創建は不詳ですが、文永元年(1264)に落雷によって焼失した記録があります。
江戸時代以来、時刻や法要を告げる鐘として使用されています。また除夜の鐘としては参拝者全員が撞くことができる鐘でもあります。 -
本坊
本坊は蔵王堂の北方にあります。蔵王堂の大正の大修理の付帯事業の一つとして、大正12年(1923)に上棟し、翌年落成。当時の管領の名に因んで「智泉閣」と名付けられました。昭和58年(1983)に宗務庁舎ができるまで寺務所として使用されていました。
入母屋造りの本屋、切妻破風造りの付属屋、唐破風造りの車寄せのほか、浴場、表門、土蔵を有しています。
また、正面門は本願寺説教所(旧桜本坊)の門を移築したものです。 -
南朝妙法殿
南朝妙法殿は、南朝の四帝と忠臣たちを祀り、第二次世界大戦の戦死者と有縁無縁(うえんむえん)の霊を合祀する三重塔として昭和33年(1958)に建立されました。
かつてここには、後醍醐天皇が行在所とした実城寺がありました。南朝妙法殿には旧実城寺の本尊と伝えられる、奈良県指定文化財の木造釈迦如来坐像が安置されています。また、毎年10月15日に後醍醐天皇御聖忌法要が営まれます。 -
聖仏舎利宝殿(せいぶっしゃりほうでん)
聖仏舎利宝殿は仏舎利(お釈迦様の御真骨)を安置するために建立されました。南朝妙法殿のさらに奥、脳天大神龍王院(のうてんおおかみりゅうおういん)への参道沿いに位置しています。
安置されている仏舎利は、昭和42年(1967)11月24日、インド政府から贈呈されたものです。 -
役行者銅像
修験道の開祖、役行者の大銅像です。戦後、女性行者のための行場として蔵王堂の西方の谷間にある一の滝(龍神池)を開いた際、昭和26年(1950)に行場の入り口に建立されました。
役行者には、夫婦の鬼が付き従っています。手に斧を持った鬼は前鬼(ぜんき)、水がめを持った鬼は後鬼(ごき)といいます。この鬼は、生駒山の暗峠(くらがりとうげ)で人の子をさらう悪い夫婦の鬼でしたが、役行者がこの夫婦の子供を隠しておびき出し、調伏したと言われています。 -
脳天大神龍王院(のうてんおおかみりゅうおういん)
脳天大神龍王院は、昭和26年(1951)、当時の管領五條覚澄(かくちょう)の手によって創祀(そうし)され、蔵王堂の西方の谷あいに位置しています。
ある日、滝へ向かう途中、頭を割られた一匹の蛇に遭遇しました。その蛇を手厚く回向(えこう)したところ、翌日から夢に現れるようになり、ついにはある人に憑依(ひょうい)して「まつられたし、まつられたし。吾(われ)は頭を割られた山下の蛇である。蔵王の変化身(へんげしん)である。脳天大神としてまつられたし。首の上の如何なる難病苦難も救うべし」と告げました。
こうして現在の金龍王(きんりゅうおう)の地に霊標が立てられましたが、多くの参拝者が来るようになったため現在地へ移転しました。
今では「脳天さん」と多くの人によばれ親しまれています。
また、境内にある宝泉坊には、水子地蔵尊が祀られており、8月22日の大祭には多くの参拝者で賑わいます。 -
銅鳥居(かねのとりい)(重文)
仁王門から北へ約200mです。
銅鳥居(かねのとりい)は蔵王堂の北方、北向きに建つ鳥居型の門で、重要文化財に指定されています。大峯山上に詣でるまでの間にある四門の最初にあたり、発心門(ほっしんもん)と称され、菩提心(ぼだいしん)を起こすところとされています。
ここは、入峰修行の行場の一つで、
「吉野なる銅(かね)の鳥居に手をかけて 弥陀(みだ)の浄土に入るぞうれしき」という秘歌が伝えられています。
また、聖武天皇の勅願により東大寺大仏の余った銅で建立したという伝承があります。
『太平記』には、正平3年(1348)に高師直(こうのもろなお)が来攻した際に焼け落ちたとされ、室町時代に現在のものが建ったと言われています。
世界遺産 金峯山寺
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